「本当の自分とは何か」問題への向き合い方

         世の中には、「自分とはなにか」「本当の自分とは一体どういうものなのか」

といった問いが存在する。

今年一発目の記事はこのことについて書いておこうと思う。

 


       僕は以前、友人に「お前は本当の自分はどんな人だと思ってるのか」と尋ねられたことがある。よく聞いたことがあるような哲学的問いだけれど、なんだかあまりピンとこない。「本当の自分」とはなんだろう。


       僕は「自分」という存在が完全に独立したものではなく、関係の中に存在するものだと思っている。例えば仲のいい友人を前にしたら僕は「テキトーなことを話しまくる人」だが、大人数の知らない人の前では「めちゃくちゃ無口な人」である。さて、どの自分が「本当」だろう。

 

      僕たちには、何か捉えようのない物事に対して説明(あるいは解明)しようとするとき、大きく2つのアプローチがあると思う。

 

①物事に対して何か概念を持ち出してそれに当てはめていく方法。

②物事をそのまま詳細に記述(描写)していく方法。

 

        そして、ことコミュニケーションにおいては殆どが①である。自分について説明していく際も、自分のこれまでの行動を振り返って「真面目だ」「おとなしい」などの概念に抽象化していく作業が行われる。


        しかし当然ながら、この作業の過程で取りこぼされる「自分」が少なからずある。

抽象化できない「自分」が見つかると「あれ、本当の自分ってなんだ?」という気持ちになるのだろうと思う。


      結局①の方法で説明された「自分」は「他人用の自分」なので、そこに縛られない方がいいと思う。「真面目」だと他人に説明しても、真面目じゃない自分は絶対に存在するからだ。


    では「自分用の自分」はどうか。自分は自分に対して、自分がどういう人間だと説明してあげればいいのか。

    僕は②の方法で説明したらいいと思う。

例えば日記をつけてみる。自分の起床時間から就寝時間までの一挙一動を正確に記述してみる。その時に何を思ったかも書いてみる。

そうして書き並べられたことは、「自分とは何か」に対する立派な一つの答えだと思う。

   

   ここで僕は、自分のすべての行動や思考を記録してそこから新たな自分を見つけることを推奨してるわけではない。※1

ただ、抽象化する作業によって取りこぼされてきた自分が可視化されたとき「自分って意外とこういうところがあるんだな」というものが、救いになることがある。

 


  これまで「本当の自分とは何か」問題への考え方について述べてきた。最後に、この哲学的問いに対して先人の知恵を借りるならば、サルトルは「自分とは選択の結果である」ということを言っている※2 確固たる「本当の自分」なんてものはなく、自分が選択してきた結果が自分ということだ。

どういう自分になるのかは基本的に自由なのだ、という論には異議を唱えたくなるかもしれないが、異議を唱える自由は存在する。

とりあえずここで言えることは、

「本当の自分」は自分次第、かどうかを決めるかどうかは自分次第である、ということだ。

 

 

 

※1  去年の年末に前田祐二さんという人が「メモの魔力」という本を出している。これはひたすらに自分の行動や思考をメモにしてそれを抽象化し、新たな価値に「転用」するための指南が書かれている。

 

※2 彼曰く「人間の運命は人間の手中にある」そうである。

 

 

家族の「仲が良い」とは? 家族は仲が良い方がいいのか?

家族って仲良くなければいけないの?

そもそも「家族と仲が良い」って何だと思う?


そんなことを聞かれる機会が先日ありました。


それに対して回答した私の回答を掲載します。


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        家族にとっての「仲が良い」とはどういう状態か、というのは難しいと思います。家族の仲の良さを測る時、

友人における仲の良さを測る場合の 「会う頻度」や「会話の内容」といった基準をそのまま家族にも当てはめられるのか、という疑問が生じるからです。


例えば私の場合頻繁に連絡を取ってフランクに会話しているため「仲が良い」と周りから言われることがあります。

しかし両親共私の恋愛遍歴はじめ趣味趣向などあまりよくわかっていませんし母に関しては就職先・仕事内容も知りません。

家族の仲の良さは会話の量なのか、お互いについて知っている情報量なのか。人によって基準はそれぞれでしょう。


        さて、個人的な意見を言わせてもらうと、家族の仲の良さは「それぞれが生きやすい状態にあること」だと思います。

家族について余計な不安があったり過剰に干渉しあったりしてないと全員が居心地よく暮らせればそれが「仲の良い」状態なのではないのでしょうか。

つまり本人が「仲が良い」と思う思わないというよりもむしろ、家族に対して「意識してるかしていないか」で判断できる可能性があるということです。

例えば「家族と仲が良い?」と質問に対して「仲が良いかどうかはわからないけど特に不満も問題もない」というような回答は、十分に「仲の良い」状態だと思えるのです。


       では、この前提に立った場合「家族は仲が良い方がいいのか」という疑問には、「良い方がいい」としか言えません。

なぜなら家族という関係を完全に消し去ることは出来ないからです。


血縁者というのは強固な結びつきです。

その中でも特に「親」は自分が何か身の危険に晒されたときなどに、無条件で助けてくれる可能性が一番高い特殊な人種です。

このことから決して「自分のために家族を大事にしろ」と言いたいわけではなありません。家族というのはそういった合理的な考えや理屈では成り立たない結びつき なのです。その結びつきを大事にするかどうかは人生に大きな影響を与えてしまうからだと私は思います。


「家族は仲良くなければいけない」という決まりはありませんし、個人的にはそういう社会的な風潮もあまり感じません。「家族は切っても切れないのだから良い方がいいよね」とみんな漠然と思ってるだけだと思います。


       私は際立って「家族を大切にしよう」と思って生きてはいません。 ただ、家族間で生まれる感情というのは極めて特別なものです。世の中には、社会で全く罪に問われないことでも自分の肉親がやっていたらちょっと嫌だなぁと思ったりする行為が多々あります。そういう「微妙な情緒」と向き合うこと、向き合って尚自分の人生と家族との「折り合いの付け方」を探ることは、生まれてきたことに対するある種の使命のようなものだと思っています。


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最後まで読んでいただきありがとうございました。


大衆ウケが分かる霜降り明星

    

       霜降り明星は本当にすごい。優勝が決まった時、僕はテレビの前で「うおおおおお」と声を上げてしまった。大ファンというわけではないのだが霜降り明星は本当に面白くて、ことあるごとに気になるコンビだった。※1

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僕はひねくれてるので「どうせラストイヤーの人とかが優勝するんだろうな」と思ってたところの最年少組の優勝で、本当に興奮した。

 

 

      霜降り明星が世間的にどれだけ知名度があるのか知らないが、関西人・お笑い好きには若手芸人界の大スター、という認識である。そもそも霜降り明星のツッコミ・粗品ピン芸人としてオールザッツ漫才2013を史上最年少(19歳)で優勝している。そこから今の相方・せいやと組んで霜降り明星を結成した。(ソロで先に活躍していた、いわゆる椎名林檎パターンである。)

 

      そんな粗品せいやとコンビを組もうとしたところ、周囲から「せいやって誰やねん」と反対されたという。それでも徐々にコンビとしても実力を上げ、2017年にはABCお笑いグランプリで優勝している。

 

      そのあとも歌ネタ王決定戦に出場を決めたり、実績を着実に積み上げる中でひときわすごいなと感じさせられたのは、R1ぐらんぷり2018に二人とも決勝進出を決めたことである。結果2人とも優勝は成らなかったが、そのあとの二人のネット番組を見ていて彼らがすごいなと思ったところをせっかくなので少しこの機会に書いておきたい。

 

 

      そもそも彼らのピンネタはそれぞれどんな感じなのか。Youtubeなどでぜひ見てもらいたいが、まず粗品。彼は今年R1で決勝に上がる前に6回も準決勝に進出している。彼の持ちネタは「高速フリップ芸」で、フリップに描かれた変な絵に対して高速に、ひたすらツッコミを入れていく。ネタ中の彼はパジャマ姿で(精神病棟から抜け出してきたという設定らしい)時折意味の分からないフリップも登場してくる「シュールさ」が売りだった。

 

f:id:jinsolgraffittibook:20181203005518j:plainピンネタをする粗品

 

 

      せいやのネタのほう、これも動画を見てもらったほうが早いが空手家の恰好をしたせいやが「せ、せ、せいや!」といいながら意味の分からないことを言うリズムネタである。お笑いファン的には(僕の見解だが)このネタの醍醐味は徐々にせいやの歯止めが利かなくなりパニック状態に陥る、という点だった。

 

      しかし、ふたを開けてみたらR1の決勝では彼らの「売り」は消えていた。粗品はパジャマ姿ではなく和服を着て「ツッコミかるた」としてフリップにツッコミを入れていき、せいやは歯止めが利かなくなることはなくただひたすら「せ、せ、せいや」と言っただけでネタを終えた。

      ネット番組(「霜降り明星のパパユパユパユ」)では決勝後にあらゆる人から「前のほうがよかった」と言われた、と話していた。それに対して二人は声をそろえて、「あれじゃあ決勝には行けへんねん」と叫んでいた。

 

     ここで、「ああこの二人は決勝で何が大事なのかわかってるんだ!」と思った。それはいわゆる「いかに笑いやすい状態をつくるか」、言ってしまえば「わかりやすさ」である。もちろんお笑いには「意味が分からなくて面白い」というジャンルがあって、それがシュールだといってもてはやされたりするけど彼らはその路線を完全に捨てたのである。特に粗品は「精神病棟から抜け出した」なんていう謎の設定を剥ぎ取ったうえでさらにもともとの持ち味である「高速」であることと親和性の高い「かるた」というモチーフを持ち出して、ひたすらフリップに早業で突っ込むことへの違和感を消し去った。せいやもリズムネタをやるうちにだんだんパニックになる、という謎のシステムはいわゆる大衆がウケるものではない、と判断したのだろう。

 

     R1の話をしすぎたが、M1の決勝を見てもやっぱり霜降り明星の漫才はわかりやすい。※2 特に粗品のツッコミは体言止めなどを駆使してキャッチフレーズのように客のほうを向いて「ここが笑いどころですよ」とばかりにはさんでくる。実際に面白いから爆発的にウケる。

f:id:jinsolgraffittibook:20181203074153j:plain 東京ホテイソン


                   昨年・今年とM1準決勝進出した東京ホテイソンというコンビが表に出てきたときに、youtubeのコメント欄では「霜降り明星のパクリ」というコメントがちらほら見えた。東京ホテイソンたけるのツッコミは「い~や○○の××!」と、キャッチフレーズ的に、客のほうを向いたツッコミをしている。その点では粗品と確かに似ているのだが、彼のツッコミは歌舞伎のテイストで見栄を切るように行われるように、ツッコミがメインでボケがフリになっている印象を強く受ける。だからこそ、漫才中のたけるのツッコミは時に度を超え、「い~やマイメロディの食事!」のように「ん、マイメロディの食事ってそうなの?笑」とちょっとした違和感を客に与える瞬間がある。バカリズムは「ネタパレ」で彼らの漫才を見たとき「あれツッコミではないよね笑」とコメントしていたが、確かにたけるはツッコミとボケの間を常に行き来しているような独特な感じがある。しかし逆に言えばその「結局どっちかわからない感じ」が全体量としての笑いを減らしていて決勝には行けていない、と捉えることもできる。(また、東京ホテイソンはツッコミがメインなのでボケとの間に「タメ」を作るのでどうしてもテンポは遅く、ボケの手数も少なくなるので霜降りと比べてやはり不利である)

                  似たような(とされている)スタイルの東京ホテイソンとは違いやはり霜降り明星せいや の動き・歌によるボケがあくまでもメインである。ボケであるせいやはひたすら自由にボケまくり、※3 粗品は口だけでたしなめる ようにツッコんでるかと思いきやここぞ!という時はマイクに顔を近づけてキャッチフレーズのようなツッコミをする。この緩急のつけ方も流石だなぁと思いながらぼくはいつも腹を抱えて笑っている。

 

      審査員の立川志らくが「大衆はものすごく彼らを支持する」といっていたが霜降り明星の2人は、どうしたら大衆がウケるのかをおそらく熟知している。結成5年目、まだ25,26歳のコンビである。僕とあまり歳も変わらない(僕は23歳)本当にすごい。ナイツの塙の言うように本当に「吉本の宝」だと思う。ネットではいろんな反対意見もあるだろうが、僕は心の底から同世代である、未来の大スターを応援している。

 

 ※1大ファンというわけではないので、コンビの基礎情報など記述している内容に間違いがあればご指摘をいただきたい

※2これは勝手な憶測なのだが、霜降り明星粗品は漫才をするときかつてはルパン三世のコスプレのようなスーツを着ていた(トップ画像参照)。いわゆるこれが勝負服だったらしいのだがいつのまにか着なくなっていた。R1の衣装の話をしたが、ツッコミがルパンのコスプレをしていたら確かに意味が分からない。この「謎のこだわり」もウケには邪魔だとして排除したのかもしれない。


※3 ボケは終始ボケであり、ツッコミは終始ツッコミである、というのは決勝進出には大事な要素にも思える。いわゆる「センスのある」ところが売りの人たちは(Aマッソ、コマンダンテなど)しれっとボケとツッコミを入れ替えたりするがそのスタイルが大爆笑につながることは難しいような気がしている。「あれ?」という違和感が大爆笑につながるための笑いを少なくしてしまっているんだと思う。

 

何かに回収されちゃう感じ

 

 

              

 

     半年間ブログを書いていなかった。これは特に理由がない。「社会人になったから忙しくて書かなかったのね」と言われればそれは間違いとは言えない。けれどこんなブログの一記事を書けないほど忙しくはなかった。

 

     前回の「たけちよ。の旅前編」を書いたら、たけちよ。の彼女からの評判がよくなくてやる気をなくした

     というのが、「なんでブログ止めたの?」の質問に対して僕が周囲によく使っている「理由」である。でも一人で冷静に考えてみたら、そもそも他人のために書いていないこのブログの評判が悪かったとて、本当は別にどうでもいい。評判が悪かったから~~というそれは「友達用の言葉」でつくられたもので、「自分用」の理由を探してみたらそれは「無い」というのが正しい。

 

    当たり前の話だが、物事には原因と結果がある。なにかの問題について考えるとき僕たちには、原因を突き止めて(あるいは推測して)「これは○○だから××なんだ」という理解の仕方がある。これは社会を生きる上で最も重要ともいえる、いわゆるロジカルな思考だが、一方でそれを一人の人間、自分に当てはめられたときに「いやいや、そうじゃないよ!」と言いたくなる一種の反抗精神がある。

  

    僕はずっと「なんで○○したの?」と友人に尋ねられた時に、「それは××だよ!」と明確に答えてしまうことに抵抗があった。自分用には「△△や◇◇や、いや☆☆も・・・」と言語化できない(あるいはするには非常に時間のかかる)感情を用意しているが、他人には他人用の分かりやすい答えを用意しなければならない。

    僕は文系でスポーツ新聞部に所属しながら、演劇やお笑いを見るのを趣味として大学生活を送っていた。そして大学卒業後にシステムエンジニアになったのだがそれを言うと友人に「なんで?」と質問された。僕の大学生活の内容と就職先がうまく相手の公式にはまらなかったのだろう、当然の質問だがこの時はとても困った。

    もちろんこの場合、それなりの理由・回答は一応存在している。でもそれを仲の良い友人に伝えて「ああそういうことなのね」と理解されてしまう感じが単純に好きじゃない。(こういう感情が俗にいう「厨二病」的だというのならそれはそれでいい)

    だからぼくはひたすらにとぼけるし、おちょける。そもそもどんな仕事に就いたのかも言わないことが多い。「どこに就職したの?」ときかれても「んーとね、NASA」とか言ってはぐらかす。なぜなら職業を答えて、それを選んだ理由を答えて、、と続けていくとどんどん相手の中で「こいつは○○だ」という、相手の常識が築き上げたカテゴリーのようなものにすっぽり回収されていく感じがある。「これはこうね、それはそうね」とパズルにピースをはめていく感じ。生身の人間に対してそれをやられるとたまらなく気持ち悪い。

 

    「ああ、そういうことなのね。わかった」と相手の「公式」に当てはめられるともうその公式ありきで今後の会話が進んでいってしまう。マスコミに就職した人が「仕事つらい」というと、会話の相手はその人がマスコミに就職していたという知識を持ち出して「マスコミだからね~」と謎の「理解」をしめした返答をする。人が持つこの能力はコミュニケーションを円滑にする面がもちろんある一方で、なにか大事なものを見落としてしまっているような感覚がある。いわゆる一般常識のような「それはそういうものだよね」というテンプレートに「回収していく」ということの暴力性を忘れたくない。

 

    「理解しました」というのはある段階の「終了宣言」でもある。その「終了」が次の段階へのステップとなるのなら全然いい。この記事は全体的にすこしぼやかして言ってしまっているので伝わっていないかもしれないが要は相手が僕を「理解しました」という反応を僕にみせてくるときに「ひとまず」という要素があるかどうかによって僕の相手に対する信頼度は変わる。

「ひとまずそういうことなのね」という理解をしたがらない人は、すぐに終わらせにかかる。

僕が質問に答えない、などよくわからないことをしていると「よくわからない人」として大きな何かに回収し始める。僕はそれをされたときに「ええ・・」という気持ちになる。

 

    人と向き合うとき、結局はこういうことなんだよ みたいな明確な答えは存在しないことが多い。ぼくは「こうだよね」で始まるコミュニケーションではなくて「こうなのかな?」という探りあいのような、そのあやふやな感じをそのままコミュニケーションとして友人と続けていきたいのである。そのためには僕は質問をはぐらかしたり理由を答えなかったりしている。

                でもそれが正しい答えなのかは、当然ながらわからない。







 

   

 

 

 

 

         

     

たけちよ。の旅に同行した話。(前編)

僕には たけちよ。という友人(鉄オタ)がいる。

彼は昨日、一ヶ月ほどかけて日本を縦断するという(常人離れした)旅を終えた。

どういう旅かは以前彼自身が説明してくれているのでぜひ

こちらをご覧いただきたい。

 

jinsolgraffitibook.hatenablog.com

 

さて、彼は3月から九州をまわり、15日にゴールの肥前山口駅(佐賀県)に到着する予定だった。

僕はその2日前、

彼の旅の終焉を見届けるために九州に向かった。(それまでには少しすったもんだあって僕は九州行きを最後まで迷い、決断したのは出発の半日前である)

 

そして14日には無事彼と合流し、

2人で長崎を観光しつつ僕は彼のゴールに付き添い、15日の夜に博多駅から(しかもはかた号という最強の深夜バスで15時間かけて)東京に戻った。

今回、この一連の出来事について書いておきたいと思う。

 

ただこれまで無駄なことが一切、全く、一文字も書かれていないということで評判だった当ブログも、今回ばかりは色々脱線しながら(電車だけに(?))

書きたいので、前編と後編に分ける。

前編は今回の僕の旅の概要であり、後編はそのまとめと、たけちよ。の旅について思ったことである。

後編はまだちゃんと書くことを決めていないので、もし書いてみて思ったより内容が薄くなったらテキトーに好きなお笑い芸人の話でもしてお茶を濁そうと思う。

 

 

さて、

(とりあえず)僕の旅の概要に入る。

 

グズりながらもなんだかんだ九州に行くことを決めた僕ちゃんは

13日、諸々の用事を済ませた後昼過ぎに家を出て、深夜に姫路(兵庫県)に到着した。そのまま姫路駅前のJOYSOUND一人カラオケをし、

14日(僕の誕生日である)の早朝(5時!!)に九州に向けて出発した。

 

さて、そろそろお気づきだろう。

そう、僕は鈍行で彼の待つ長崎県に向かっていたのである。

一枚1万強で五日間乗り放題(JRに限る)の青春18きっぷを使い、チンタラと家からほぼ丸一日分の時間電車に揺れながら長崎県早岐というところに到着。鉄オタと合流したのは14日の20時、出発してから約30時間後のことだった。

 

僕はよく長期休暇時にこの青春18きっぷで実家の京都を行き来しているので(節約!)その倍くらい余裕かと思っていたが、

やってみるとかなりヘビーだった。

ご飯は持参のパンと駅で買ったグミが主なのでお腹は減るし(だけどヘルシー)

福岡県に入ったあたりになってくると、肩は脱臼するし首の骨は折れるしカバンの中で飼ってたニワトリが卵を産んだりして、それはもうケッコーな状態だった。

 

話が脱線してしまった。(Say!「電車だけに」!)

 

結局14日の夜 早岐駅で合流した我ら「まぢ仲良し二人組(ズッ友)」はそこから一駅のところにあるハウステンボスに行った。夜のハウステンボスである。そして早岐のホテルに宿泊し、15日再びハウステンボスに行き昼のハウステンボスを楽しんだ。

(効率が悪いように見えるがハウステンボスがこの旅の第一目的ではないので仕方ない)

 

ところでこの超有名観光地はとても楽しい場所だったが、それの感想をここで書くのは省こうと思う。ハウステンボスに今後行こうと思う人が参考になるような感想はおそらくちゃんとしたブロガーさんがやっているはずなので、そちらに任せる。

 

ただ1つ言うなら「バースデー特典」というのがあって、3月14日が誕生日の僕はその恩恵を受けることができたということだ。

バースデー特典は、来園日が誕生日の前後3日の人は専用のシールを胸につけることで、園内のショップなどで割引がきいたりする。僕もそのシールを胸に貼ってドヤ顔で園内を練り歩いていたら、どこの馬の骨だか分からない姉ちゃんや兄ちゃん(通称:キャスト)から「お誕生日おめでとう」「君、肌荒れてるね」「来年の誕生日は来るなよ」などと、祝いの言葉をたくさんかけてもらった。

 

さて、15日の昼過ぎにハウステンボスを出た僕らは、ゴール地点の肥前山口駅に向かった。たけちよ。の行ったJR最長片道切符の旅とやらは過去に幾多もの先人たちが成し遂げており、どうも稚内肥前山口というのが定石のようである。(このへんはよくわからない。)

 

とにかく肥前山口駅で僕は、無事にゴール地点到着を喜ぶ親友の記念撮影を無心で行っていた。そんな中舞い上がってしまってすっかり殿様気分の彼は

「余は駅員さんとも写真を撮りたいのじゃ」と言い出した。もちろん従順たる家来である僕はその頼みを快諾した。しかし改札に行くとその駅員さんはちょうどほかのお客さんの対応をしていた。電光掲示板を見ると、乗る予定の電車の時間が近づいてたので(次の電車は30分後である)「まあ諦めるかな」と思ったら、彼は律儀にその電車を見送り、対応が終わるのをちゃんと待って(およそ20分くらい)駅員さんと写真を撮っていた。僕はごく普通の駅員さんと写真を撮るのにここまで熱意を持つ人が世の中に存在するとは思わなかった。

 

そんなことがありながらも無事に一通りの撮影が終わると僕らは博多へ向かい、夕飯の後すぐ深夜バスに乗って16日の朝10時にパスタ新宿に到着。

高速道路が僕の才能ばりに渋滞していたので、予定よりも50分遅れの到着となった。

 

バスを降りたらヘトヘトになってるかと思いきや意外にバスの環境が快適だったので元気だった僕らは、マクドナルドで朝食をとりV6森田と宮沢りえの結婚について1時間近く熱く語り合った。

 

こうして僕の「たけちよ。の一ヶ月日本一周の旅〜最後の3日間体験ツアー〜」は幕を閉じたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ツイキャスをしている理由と誰でもラジオについて

こんにちは、2月下旬は20、21、22と3日連続でツイキャスをした岡村です。

 

これだけツイキャスをしているとやはり友人からはよく

「なんでツイキャスをしてるの?」と聞かれてしまいます。

ぶっちゃけ一番は「楽しいからやってる」くらいの感覚なのですが、 

理由をあげるとなると話は以前に書いた記事の内容につながると思っています。

jinsolgraffitibook.hatenablog.com

 

この記事では、ブログをやっているのは

自分の好きなこととか考えていることとかをとりあえず友人間で閲覧可能な状態にしておく

ためだと言いましたがツイキャスもそれに近いです。

「自分が言いたいこととかをやりたいこととかを知り合いが聞ける状態にしておく」

ことで自分とか自分の周りになにかしらの影響が及んだらいいなと思っています。

それは、自分のキャスを聞いてくれてた友人と会ったときに「この前こんなこと話してたよね」って切り出してくれるというだけでも価値のあることなんじゃないかなと思っています。

 

さて。

そんな感じで楽しく仲間内だけでツイキャスをやっていた僕ですが、

つい先日友人のきねくん(@warauhoutei)とひたすらツイキャスをやるという

誰でもラジオ(@daredemoradio)という新たな場所(媒体?)を作りました。

今までは「僕がただ仲の良い友人がだべり(時には大喜利をし)仲の良い人が反応してくれてうれしい」だけだったのですが、

きねくんの提案により、「僕ときねくんがやることで参加者の間口がもっと広がっていろんな人と話す機会が生まれたらいいよね」ということで

この企画は始まりました。

最初は共通の友人から、そして片方の友人、ゆくゆくは僕ときねくんも知らない人とかと話したり出来たら楽しいね、って思っています。

ラジオで遊ぶ ということをきっかけに(名目にして)、ローカルなつながりが広がったり今までのつながりがより強固になっていったらいいな、という思いです。

 

それはラジオじゃなくても読書会とかでもいいんじゃないかと思うかもしれませんが

いろんなひとが集まって気軽に自由になんでも話せるプラットホームの一つとして

僕たちはラジオというかツイキャスを選んだ、ただそれだけの話です。

 

参加者の方には、いざ参加してみたら気まずい・・みたいなことにならないよう

僕たちも精いっぱい努力していきます。

 

ちょっとでも興味をお持ちの方は

誰でもラジオ(@daredemoradio)アカウントにDMやリプライなどを送っていただけると嬉しいです。

 

よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうも、たけちよです。

 

 

どうも私、たけちよ。 と申します。

 

「たけちよ。」です。句点もセットです。

今、電車に乗っています。

 

暇なんで岡村くんとLINEしてたらブログを書いてみないかと言われました。なので暇つぶしとして岡村くんのブログを借りて自分の近況を書いています。

 

さて、私が今何をやっているのかと申しますと、「日本一長い切符」を買ってひたすら電車に乗っています。

 

「日本一長い切符」と聞いてみなさんはどう思うのでしょうか。

 

なんか、凄そう、

 

なんか、長そう。

 

なんか、やばそう。

 

なんか、、、

 

そうなんです。この話をすると、鉄道知らない人は語頭に絶対「なんか」とつくのです。

無理もありません。電車なんて一般人からしてみれば交通手段でしかないし、ルートなんて定期券作る時や旅行の計画立てる時くらいしか考えないんじゃないでしょうか?

 

だから「日本一長い」と言われてもピンと来ないんだと思います。

せいぜい勘のいい人でも北海道から九州までの何となく長いルートくらいにしかイメージ出来ないんじゃないでしょうか。

なんで、この際僕がどういうルートを辿っているのかをざっとお見せします。

 

 

 

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これが、僕が今辿っているルートです。

 

分かります?

この日本地図にうねうね線が書いていると思いますが

 

これを「全部通るのです!」

 

しかもこのルート何がすごいって

 

「全部一筆書き」 なんです。

 

つまり、ゴチャゴチャしているように見えて、

「同じ駅を通っていない」のです。

 

だからルール上、「片道」の切符です。

性質上「池袋→新宿」の切符と同じです。

 

この最も長い「片道」の切符が俗に言う「日本一長い切符」というわけです。

 

具体的にルートを言いますと、出発は日本最北端の駅 稚内駅 終着は佐賀県肥前山口駅というところです。

そして経由地は、以下の通りになります。

 

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ね。

 

「なんか」凄そうって次元超えてるでしょ。

 

これ、「本気で」ヤバいんです。

 

距離にして大体1万キロ!

値段は73000円(学割の値段)!

有効日数(切符が使える期間)は56日!(普通は大体1~2日くらい)

 

僕でも訳わかんないです。。

 

そんな切符がこちらになります。

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切符なんですこれが、、

 

当たり前ですが、自動改札へは通れません。

いちいち駅員さんに説明しないと行けません。

しかも見せる度にこの切符の説明をしないといけません。面倒いです笑

 

ちなみに56日間ずっと改札が出れないかと言われればそうではなくて、有効日数以内で、ルート上であればいつでも途中下車することができます。

 

途中下車する際、改札では下車印というものを押してもらうのですが、この切符半端なく途中下車出来るので、今、僕の切符はこんな感じになってます。

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ちょっとしたスタンプラリーみたいですね。

 

ところで、ここまで読んで「このルートってたけちよ。が全部1から考えたの?」って思った方いらっしゃると思いますが、そんなことはありません。

 

実はこの切符、鉄オタ(特に乗ることをメインとする乗り鉄)の間ではかなりポピュラーな切符で、先人達がルートを算出してくれているのです。

 

僕も彼らが作ったルートを参考にしました。

 

この切符に挑戦して分かったんですが、僕の他に結構挑戦した人は居るみたいです。

 

でも、なかなか上手くいかなくて断念する人も多いとの事です。(運休とかで。)

 

この切符を達成するには相当運も必要なんです。

 

そして、この切符ってそもそもどうやって買うのかという話もしなければいけませんが、意外や意外「みどりの窓口」で買えるのです。

 

みどりの窓口で先程の経由地を見せて「この区間の切符を作ってください」と言うだけです。

 

ね。簡単でしょ?

 

 

言うだけならね。

 

 

僕が作った時は、経由地を見せたあとに、職員さんが控え室に引っ込みました。そしてずっと出て来ませんでした。

 

10分くらいしてやっと出てきて

 

「この切符作るのに、2ヶ月かかります」

 

と言われてしまいました。

 

ちょうど、その時は2018年の1月2日

 

「え、間に合わないやんか!卒業するやん俺!」

 

と思って交渉した挙句、何とか「1ヶ月」で作ってもらうことが出来ました。

 

こうしてやっと二月の頭から「日本一長い切符」の旅をスタートさせることが出来たのです。

 

作るのも大変、やるのはもっと大変。

 

なんでこんなことするのかと言われれば、

 

 

日本一長い切符に乗りたいから!

 

 

ですね。なんというか、ロマンです。

 

 

まぁ、青春18切符とかで鉄道でぐるぐる旅をするのが好きな自分としては「日本一長い切符」に対する憧れもありますし、有り余る時間とある程度の金があるのは今しかないってのもあります。

 

でも、そんなこちゃこちゃした理由は幾らでも言えるのですが、結局のところ「やりたい!」という単純な気持ちが僕を突き動かしているのでしょう。

 

この気持ちは旅に限らず、今後の人生でも大切にしたい気持ちです。

 

さて、僕は今稚内をスタートしてから15日目。どこにいるかというと、なんと八王子にいます。なんだ東京にいるじゃねぇか!とお思いでしょうが、これまでに稚内からあのルートを通って来たわけですからね、積もる話は沢山あります。

 

 

それは追々僕個人のブログなどに書くとして、今日の旅の目的地、岡村くんの家へと向かいます。

 

 

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