僕は多趣味ではない

僕は「多趣味」って言われることがよくある。友達だけじゃなくても、初対面の人に「なにがお好き?」ときかれて「お笑いをみるのと、映画、小説、音楽聴くのも演劇も好きです」と言うとまあ「多趣味ですね」って言われる。
こんな答え方するからだからかもしれないけど、本当のことを言えば実際 全部同じくらい好き。だからそう答える。よくお笑いが際立って好きって思われがちなんだけど、お笑いが一番コスパ良いから結果的にお笑いを一番観て、そんでお笑いに一番詳しくなっちゃっただけ感はある。好きな度合いはそこまで差がなかったりする。

だからこそ、僕は自分が「多趣味」って自覚はなくて、「多趣味」と言われることに違和感をずっと抱いていた。
とりあえず趣味の言葉の意味を気になってネットで調べたらデジタル大辞泉
「 仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄。」
って出てきた。まあじゃあ僕は一応定義的には「多趣味」ではあるのか。

でも「ちょっと待て」と思う。お笑いも演劇も小説も音楽も全て「受信」、いわば「コンテンツ消費」であって 僕はあまり区別をつけていない。もちろんそれぞれの媒体じゃないと伝わってこないものがあるからそれぞれに触れているのだけど、実際自分の行動というか、態度に変化はない。だから僕は「コンテンツ消費」という一つの趣味しか持っていない気がしてならない。
じゃあどういうのが「多趣味」なのかというと、「それぞれ態度が異なるもの」なんじゃないかという考えに行き着いた。例えば、「映画鑑賞と家庭菜園とテニスです」。こういうのが「多趣味」じゃないか?!

コンテンツ消費、生産行動、体を動かすor勝負モノ、とそれぞれの態度がバラバラだ。
もっと極端な例を言えば、「音楽を聴くことと演奏すること」は、触っているものは同じでも「二つの趣味」で、「音楽聴くことと映画観ること」は他のジャンルに触れているようにみえるが「趣味は一つ」なんじゃないか。

趣味の数なんてどうでもいいだろうと思うかもしれないけど 、もし「多趣味」が褒め言葉として使われるのであれば、
僕がいま定義した「多趣味」の方が採用されるべきだ。尊敬されるべきは「あらゆるジャンルにとりあえず消費者として触っている奴」ではなくて「態度を多様に持っている奴」だ。
僕はそう思う。

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